人間は考える1本のケチである

ひとりで始めるケチケチ貧乏生活

 

せっかくの貧乏 生かさなもったいない 生かさなしゃーない


1. ケチケチ生活の始まり――2012年9月30日

 

5年前に父が他界したあとがんばっていた母も92歳で逝き、堺市のささやかな実家がついに無人になりました。

そこに1人で移り住むことにしました。千葉県に家族を置いての二重生活です。

それを楽々送れるほどの資力はとてもないので、可能な限り生活を切り詰めなければなりません。やってみるといろいろ考えること、勉強になることがあります。

そのあれやこれや、目下学習中・進行中のケチケチ貧乏生活記です。

 

パソコンはいくらやってもよくわからない上にインターネットとなると太平洋の真ん中で交番を探しまわるようなものですが、そこにさらにブログだホームペイジだとくれば、水着姿で海面から別宇宙をながめているのたぐいでした。

そんなありさまでいったい何をどうやればいいのかわからずウロウロするうち事実だけが先行してしまいました。

というわけで事実に3ヶ月近い水をあけられての後追いです。そのうちには追いつくかと思いますので、大目に見てください

 

 2. 節約の目玉は何?

 

何が切り詰め可能か?

まずは食費? 言うまでもなくそうでしょう。生活費の中でいちばん比重が大きい。しかもやりようによっていくらでも変わる。ここで知恵をしぼらずにどこで知恵をしぼるかという項目です。

なので、ひとまずおいて、他に何があるか、ざっと見まわしてみます。


これもあまり考えるまでもありません。水光熱費と通信費、被服費、文化娯楽衛生費、そんなところでしょうか。私の場合交通費は関係ない。車もない。

 

2−1 文化娯楽・衛生費はどう?

文化娯楽費を考えるのはよすことにしました。人それぞれ事情と覚悟次第で要不要とその程度が決まってしまいそうだからです。問題はどこにそのラインを引くかだけでしょうが、そこに生活技術的なものはありません。交際費もこの中に含めてしまいます。

衛生費は逆に充実させたいくらいです。でないと哀しくなります。

粗食と、必要なら数日の絶食には耐えてもいいが、不衛生や悪臭はいやだし耐えられる人物になりたくもないです。そもそも金額的にたかがしれていて頑張りがいがなさすぎます。だから衛生費も切り詰め対象から外そう。

 

2−2 被服費もけっこう大きい?

おしゃれ道楽はもとより考えていませんし、男だからあまり考える必要もありません。安物ばかりながら幸いすでに十分以上のストックもあります。

それにぜいたくでない範囲の被服費なら無理に削らない方がいいかと思います。

上等の下着かシャレた上着がどうしても必要なら、1回のおごった外食を我慢すればいいのです(外食自体がこれからはぜいたくですが)。あるいは何回かの食事を思い切って抜けばいいのです。

(ここで言う「食事」とは一般的なそれを指しています。ケチケチベースのものではないこと、念のため。)

食事を数回抜いたところでどうということはありません。基本的なところを押さえていさえすれば、ということにはなるでしょうが、1回2回の食事ならそれでなくてさえ抜いても抜かなくても、とってもとらなくても、わが人生に何の影響もありません。

そ れに比べて衣類は何年でも、あるいは物によっては半永久的に活躍し、体面をたもち、快適さと満足を与えてくれます。そこを考えると衣料品は食費に比べてベ ラボーに安いです。そのためなら1週間の絶食だってしがいがあります。昔は事情が大いに違いました。でも今はそうです。

流行は? それを一刀のもとに切って捨てるくらいが被服費に関する唯一の私の対策でしょうか。

ということで、被服費も考えるのはやめにします。

 

2−3 すると残るは?

残るは水光熱費と通信費ですが、通信費についても特に工夫というようなものはありません。携帯電話を発信に使うのは極力さけることくらいでしょうか。誰でもやっています。無用の長電話は論外です。

 というわけで、◎◎◎悪戦苦闘の目玉は食費と水光熱費◎◎◎ と決まりました。

 

3. さて、それで、献立は?

 

基本案は予めできていました。次の4つがなけなしの、だが強力な持ち駒です。

栄養、簡単、安い、日もち、好み、これだけを考え合わせた結果です。

◎キンピラゴボウ。

◎切り干し大根の炒め物

◎ヒジキの炒め物

○高野豆腐の煮物

 

豆腐もなるべく摂るよう心がけます。一度にまとめて買い置きできないのが難ですが、栄養面から必要でしょう。それにおいしいし。

動物性たんぱくの主力は魚のミソ漬けと玉子。そこにあとからレパートリーに加わったイワシの、およびレバーのショーガ煮。こんなところです。

 

3−1 生野菜は?

生野菜も欠かせません。言うまでもありません。

日もちがして安いキャベツ、ニンジン、タマネギ、大根、ゴボウ、ジャガイモ、ブロッコリー、これらを組み合わせて利用します。

並べあげてみると葉っぱらしい葉っぱものが入っていません。考えるまでもなくケチケチ基準ではそうなってしまいます。

ホウレンソウやサラダ菜なんかのあのヒラヒラした軟弱なやつどもを消費者の手に無事届けるには値段も高くならざるをえないはずですが、無理して買っても空気ばかり持ち帰る気がします。しかも1回2回でお終いなのでついそっぽを向いてしまうのです。

代わりの助っ人として海藻サラダを使います。

海藻サラダが青菜代わりになるかどうか必ずしも自信はありませんが、青いからいいのでしょう。吉村昭の『漂流』(だった?)に見る限りではまあ合っています。ただ何しろ小説のことですからね。

 

3−2 タマネギの生かじりとナツメヤシ民族

タマネギは積極的に使おう。

沙漠の民がタマネギの生かじりとナツメヤシで健康を保つくらいタマネギは必要です。

すぐにできる得意メニューが1つあります。薄くスライスして削り節かチリメンジャコと合わせ、醤油または醤油+ミソで味付け。できるとかできないとかいう次元のものではありませんが、続けても飽きずに食べられます。

そう言えばナツメヤシはソースの原料にも使われます。お好み焼きでお世話になります。ソースが健康食にはならないと思いますが。

 

3−3 モヤシは安あがりか?

モヤシも安い素材でケチケチ生活には魅力ですが、日もちしないのが難点です。冷凍もきかないから買った分をすぐに平らげなければならない、となると1人ではかえって不経済ということもありえます。

1 回で使ってしまうには多いからと思って半分とっておいても、そのまま忘れたり放ったらかしにして結局捨ててしまうことはめずらしくありません。おいしいの に安い素材だからよけいにそうなりがちな代表選手みたいでかわいそうですが、料理素材も気合いです。祭りの翌日にもう一度ハッピを着て駈けまわれるか、み たいなものです。買ったときの感動が時間とともに薄れるのは子供のおもちゃも料理素材も似たもの。

それでモヤシは自分で作ることにしました。種豆を手に入れさえすれば造作ありません。栄養的にも……どうでしょう、豆の延長だから、とはいかないかもしれないがよさそうに思います。

双葉がそろうかそろわないかで摘みとらなければならないにはしても、日ごとの成長を見るのは楽しくもあります。

 

3−4 野菜は何でもミソ汁……もありかと思うが。

野菜の利用法として世話がないのはどれもこれもミソ汁の具にしてしまうことですが、そればかりではつまらないし、たまりません。それぞれ簡単でもっとおいしい利用法がいくらでもあるでしょうから、少しは勉強しておいおいレパートリーを増やしていこう。

それでまたミソ汁ですが、ミソ汁の具になりうるものというと、その種類は数にしていったいどれくらいあるのでしょうか? 見当がつきませんが、日本人ならひょっとして100に近いものが数えられるかもしれない気がします。どうでしょう。

そのことを思うと来る日も来る日も、それも朝も夜も、大根とジャガイモと人参と油揚げと豆腐ばかりやっていていいのかと焦りに似たものさえ覚えます。

でももう少し考えてみると、誰でもせいぜい40年か50年も生きればたいてい特に好きなものはしぼられてしまうでしょう。毎回毎回そのミソ汁で何の不満もありませんよというようなものがそうたくさんあるわけではありません。

す ると何も無理して変化をつけることもないなという気もしてきます。実際我が家でもどこででも、手を変え品を変えいろんなミソ汁をくふうして出してくれるの は嬉しくもありがたく、文句を言うすじあいなどどこにもないのですが、反面胸のうちで人知れず失望している日もなくはありません。

全体として栄養がかたよってはまずいですが、ミソ汁にただ変化のための変化をつけるのはエネルギーの無駄使いと結論づけました。ただし若い人なら話は別です。しぼりこむにしても幅広く経験してからのことでしょう。

ということなので、具になりうるものがいくつあるかというのは、私には意味がありません。

パソコンがそうですね。まじめに考えると、あれもできますこれもできますこんなことも可能ですあんなことも可能ですの全部をわかっていないと、夜だからといってノンビリ寝ていられるかという気になりますが、そんなことはないわけです。完全主義は挫折への最短コースです。

だ ろうと思います。もしそうでなかったら私はずいぶん間違った生き方をしてきたことになり、本当に焦らなくてはならないのですが、私の歳ならあれもこれもは パソコンの専門家か、まさにそれで飯を食っているプロの料理家におまかせしておけばいいかと思います。それしかありません。

 

3−5 鍵は常備菜

パ ソコンのことはどうだかわかりませんが、そんなこともあり、レパートリーをふやすと言ってもむやみとふやすつもりはありません。バラエティーは最小限でい いのです。要はあたりまえの栄養がなんとかとれて毎回おいしいと思って食べられさえすればよく、極端に言えば365日同じものでもいいくらいの覚悟はでき ています。

学習中の今はべつですが、炊事時間はなるべく減らしたいからです。

すると対象は、調理が簡単ですむか、それでなければ常備菜として作りだめや冷凍保存のきく料理が主体、あるいはほぼそれに限るということになります。鍵は常備菜です。

そして常備菜として頼るなら、まず第一には先人の知恵と歴史の検証によって磨きぬかれ守られてきた伝統食品でしょう。あれこれ新奇なものをさぐるつもりはないし、それをしている余裕もありません。

 

3−6 油揚げは白か黒か

ミソ汁には油揚げを必ず入れる。おいしいし、大豆タンパク食品として大事だ。

と、何の疑いもなく決めこんでいたが、それでいいのか? 

おいしいはおいしいでいいとして、そのあとの部分がどうか、だ。

大豆食品であることにも問題はない。疑問は、だから体にいいだろうと直線的に決めつけてかまわないかどうか、そこのところだ。

名を油揚げとは知るものの、あれほど油のたっぷり沁み込んだ食べものだとはまな板の上で扱ってみないとまずわかりません。1枚の油揚げに含まれている油の量は相当のものでしょう。グラムで言いたいところですが、その知識がありません。

そこで考えてみると、油揚げが体にいいとか悪いとかを聞いたり読んだりした覚えはない気がします。私が知らないだけかと思いますが、ストレートな評価は記憶にありません。

勘ぐって考えると、まるで油を固めて飲みこむような食品だから好ましくはないが、なにしろ大豆製品だから、伝統食品だから、という遠慮から誰もが口にするのを避けている成績優秀の不良児童なのかもしれないという気がしてきます。

あるいは伝統的な大豆食品だから褒めてあげたいのだが、何しろあの油がねえ、という有識者のとまどいとたしなみまで感じさせてくれる食品です。

どうなのか? 無知は無恥に通ずで、ここに書いてしまうのもちょっと心配なのだが。

それでもついでだからもう少し言ってしまうと、油が体によくないというのは常識として聞くが、どの程度とるとどの程度によくないのか、その辺のところが私にはわかっていないのです。油に限りません。玉子もそうだし、肉もそうです。

ゼロに近い知識の限りではグレーな感じのする油揚げですが、おいしく食べることも栄養のうちだと考えて問題ないことにしてしまいます。何でもかんでもそれで片付けるのはそれこそ問題ですが。

その代わりこの生活を続ける限りテンプラはたぶん一生食べないつもりです。

ということで疑いを棚上げにしてしまうと、油揚げはミソ汁以外にも出番が多いです。とにかくおいしいし、ありがたいのは、完成度の高い食品だから初心者に抜群に使いやすいことです。

冷 凍保存も自在です。まとめてたくさん冷凍するときは袋を針で突っついてペッタンコにしてしまいます。これで冷凍スペースも節約できます。高級品はたいがい ベチャッとしているから、安いフワフワのを買ってきてフワフワを守りとおさなければならない理由は私にはありません。フワフワよりむしろペッタンコのほう が好きです。

疑いにはそっと目をつぶって、本年も何とぞよろしくアブラゲ殿、2013元旦。(同年1月2日ブログ記)

 

3−7 ジャコ1斗缶

ある女流作家が売り出し前の貧乏生活をチリメンジャコでのりきった話を書いていました。明けてもジャコ暮れてもジャコ、その代わりジャコは質のいいのを安く1斗缶でまとめ買いしたそうです。

あれはたしか田辺聖子さん。とくればさすが、という気が何となくします。というと何となく失礼かもしれませんが、田辺さんには限りません、何かを成す人は、さすが、というようなことをしますね。成さなければゴクローサンでお終いですが。

いまジャコ1斗缶いくらくらいするのでしょうか? けっこう高いのでしょう。それやこれやでそのとおりのことはできませんが、ジャコも手軽な常備菜とはなりそうです。

 

3−8 でも気を付けて食べないとえらい目にあう

田辺さんは野菜類をどうしておられたか。やっぱりタマネギが主力だったのではないかという気がしますが、ただタマネギは生で常時あまり多食すると体から匂いを出すので要注意です。

まあ食文化をくつがえしたほどに食べなければ心配ないでしょうが、強烈です。イラクに駐在していたことがありましたが、その折にそのことを知ると同時に辟易(へきえき)させられました。

チリメンジャコもまとめて食べ過ぎると心配なしと言えません。骨センベイでえらい目にあったことがあります。徳用大袋を最後の1片までいちどに平らげてしまったら、石を飲んだような便秘です。1週間苦しむことはなかったかと思いますが、よく覚えていません。

もっとも、クジラみたいにチリメンジャコを食べる人もいないから余計な心配でしょうが。

 

 

4.朝食

 

朝は4枚または5枚切りのパン1枚にミソ汁、牛乳1杯、バナナ1本、ひと束いくらの魚肉ソーセージ1本または代わりにヒラ天とかマル天とかを1枚焼く。野菜はブロッコリー。トーストにはタマネギスライスを薬味程度にのせる、といったところが標準です。

 

4−1 ブロッコリーはブロッコリー   

ブロッコリーを初めて見たとき、どうしてカリフラワーじゃないんだろうと思いました。

どうしてといっても別の野菜なことは見れば明らかだろう、と言いたくなりますが、それでもなおどこが違うのか考えてしまう野菜です。

今でも見るたびそうですが、今はどちらかというとカリフラワーを見てどうしてあんなに高いんだろうと思うほうに比重が移っています。

カリフラワーなんかカッチリと頑丈で運搬やなんかの取り扱いもジャガイモなみに楽そうだし、店先に放りだしておいてすぐしなびるようなこともなさそうだし、なのにどうしてあんなに高いんですかね。

アジサイの花を固く白くするとあれになるような気がするが、アジサイみたいに1株にいくつもできるわけではないのでしょうね。

ひょっとしたらブロッコリーがアジサイ型なのかな? キャベツとアジサイをかけ合わせたのがブロッコリーかもしれませんね。信じないでください。

とにかく安いので助かるブロッコリーですが、それを1株数日から1週間もたせて精いっぱい安く使います。

調理法は決まっています。30秒程度の固ゆでにするか、あるいはゆでずにスライスして塩味か醤油味でマーガリン炒めです。茎ももちろんスライスしてひとまとめです。

醤油味のときはよく炒めて醤油が焦げるくらいがおいしいです。ゆでたのはマヨネーズで食べ、一方ソテーは食べるときにカレー粉をちょっと付けたりもします。

 

4−2 カレー粉はカレー粉で

ソテーにカレー風味をきかせるときは最初のうちフライパンにカレー粉を振っていましたが、そのやりかたを3回目からは変えました。

いっしょに炒めてしまうと醤油味のときはカレー粉の香りが殺されます。それでもその殺され具合がなかなか粋で悪くはなかったのですが、カレー風味の炒め物はいったん冷えると給食っぽく感じます。

カレーライスは別格として、もともとカレー味の料理は好きではありませんでした。うまいもまずいもないな、というか、まずさを力づくで押さえこんでいるかの印象が舌うらにありました。

認識を変えたのは、テンプラに塩とカレー粉をちょっとつける食べ方を知ってです。

それだとオツで、学校給食の感じがありません。要は冷えたのを食べさせられていたところに問題があったのでしょう。だからこそ学校給食や社員食堂がイメージづけられたのでしょうか。

食べるときに電子レンジでまた温めればいいわけでしょうが、わずかのブロッコリーにそれも面倒だし、やっぱり古いイメージはぬぐえません。面倒というのは、食器を新たに汚して洗うのが面倒という意味です。

それで調理には使わず食べる時に粉をつける方式に変えたらさわやかなりました。

カレー粉はむしろテーブル調味料として使うほうが応用範囲が広いように思います。それで振りかけ調味料の空き容器に移し替えました。

移し替えてから振りかえってみると、調理に使うにも振りかけ容器入りのほうが使いやすかったように思うのですが、一般にはそうでもないのでしょうか。水に溶かして使うには缶がいいかもしれません。振りかけ式は湯気を受けて湿りがちだからです。 

ただ昔ながらの懐かしいあの缶はフタが少し開けにくいうえ周りにこぼれる粉がもったいないようですが、あの方式には何か捨てがたい長所があるのでしょうか。昔ボーイスカウトなんかで使っていた携帯燃料缶がやはりあれでしたが。

店 の棚に今日もあの缶が並んでいるのを見ると、よくわからないな、というのと、でも風格があるな、何となく信頼できるな、というのを同時に思います。あんな ふうに無造作に単純に押し付けるだけのフタで完璧に近い密閉性を保っているから大したものです。謎と信頼の比率は3対7か2対8くらいでしょうか。多少考 えこみはしても決して嫌いではありません。

 

4−3 ヒラ天マル天最適サイズ

本当は昔あった薄いやつがよくてさがしたのですが見つかりません。

勤めていたころ、昼ごはん時だけおばさん2人で開けている小さな小さな焼き魚定食屋さんにそれがあって嬉しかったのですが。だから今でもどこかではきっと売っていると思うのですが。

奥多摩渓谷のお食事処で、このトンカツは薄くておいしいですね、と言ったら皮肉ととられて不機嫌な顔をされました。本意はそうではなかったのですが無理もありません。世間一般の言いようは違いますから。

しかしこんなときになまじ長口舌で誤解をとこうとするのはまちがいでした。

イ エ、テレビではトンカツは厚ければうまい、寿司ネタは大きいほどおいしい、サバずしのサバは厚くて大きいほど美味、こーんなに厚いこーんなに大きい、と、 各局各員各ゲストまるで教科書の復唱なみに声をそろえますが、あれは戦後食糧難・物不足時代の貧困発想のひからびそこないミイラまたはその単純駅伝リレー でして、物には何でもいちばんおいしく食べられる最適サイズとバランスというものが、と、言葉を重ねれば重ねるほど泥沼にはまりこんで我ながらわかるしど ろもどろです。本当に足掻けばあがくほど足を取られる泥沼でした。

連れが1人いたのですが、友人も気の毒そうに、または迷惑そうに、黙って箸を動かすばかりでそれに余念なく、いっぽう、亭主は亭主で調理に余念ないふうのその頭のテッペンから複雑な表情を消すことはついにありませんでした。

熱弁もいやみの仕上げ塗りか言いわけとしか受け取られなかったようです。それとも態度を決めかねたのでしょうか。

本心から本当にあんなにおいしいトンカツは初めてに近かったのですが、最後までブスッとしていられると行きたくてももう一度行く気にはやっぱりなれません。

どっちみち始終行く場所ではありませんでしたが、かと言って厚いばかりが自慢のそこらのトンカツ屋には入る気がなかなかせず、たいてい店先で思案だけして行き先を変えるのがおなじみのパターンでした。

次に見つけたのはJR大久保駅そばの定食屋さんのトンカツです。たまの用で行くとそこへ入るのが楽しみでしたが、奥多摩での経験があったので褒めるのは胸の中だけのことにしていました。

ところが時間の都合で空振りになることも多く、それが3回続いたあとやっと入れたときは嬉しさを口にせずにいられませんでした。

そこまでで止めておけばよかったものを、あとは書かなくてもおわかりですね、そのとおりになりました。ご主人はそのうちやっぱり調理に余念なく″なりました。

でも、せっかくおいしい物を食べさてもらったらどうしても褒めたいし、褒めればどこがいいかをきちんと説明したくもなるのはまっとうなことだと思うのですが、褒めるべき相手を不快にさせてしまってはどうにもなりません。

でも……、いや、ま、いいです。勉強になりました。

ヒ ラ天マル天のまさにその最適サイズが私にとっては“昔の薄いやつ”だったのですが、それを忘れればおいしいです。1か月分まとめて買っても大してかさばり ません。全部冷凍庫におさめると何となくホッとして、冷蔵庫の前に腰を落としたくなります。油揚げもパンも鮭イワシもそれは同じです。

 

4−4 パンは半額で

 

パンは割引き品しか買いません。安いやつの、願わくは半額以下です。

出 くわしたときには5・6袋買って冷凍しておきます。これで3週間から1カ月は不安なしに次の安売りをゆっくり待つことができます。割引きが3割ならあわて て買う必要もありません。パンが安売りのおなじみ品だとは、今さら私が手柄顔に報告しなくてもみなさんご存知でしょう。

 

か さばる品物なので冷凍スペースを盛大にくうが、4人家族でも楽々サイズの冷蔵庫だから大丈夫。母が1年あまりしか使っていなかったので見たとこ新品です。 中古の小型にすげ替えようかと思ったのを考えなおしました。電気代の差くらいは冷凍庫の有効利用と便利代で見合いになるかと思います。

 

と 1行で書いてしまうと、哲学のしっかりした人だな、立派だな、とか思われるかもしれませんが、もちろんそうではありません。迷いに迷い考えに考えた末の決 断であり、決断というより考え疲れての放置です。だからいまだにどっちが正解か、いやでも視野いっぱいに飛び込んでくるどでかい姿に毎日悩みます。

 

た だ、大きいとは言っても業務用とはわけが違います。最近はどこの家庭の冷蔵庫も大型化傾向にあるかと思いますが、それでさえ一般家庭では冷凍スペースをこ んなに贅沢には使えないはずです。それが可能なのは、食事メニューのバラエティーが少ないからこそです。冷凍品の種類が少なくてすむし、回転も速い。

4枚切りパンになるか5枚切りになるかは安売り品次第です。

 

4−5 朝食170円

店は業務スーパーとか安売り店を親しく利用するので、これで朝食の食材費は1食だいたい170円。

パンはイトーヨーカドー、ブロッコリーはライフがいちばん安いことが多い。

ゴ ボウはいつでも玉出がとびぬけて安い。350gくらいのが常に68円。これは中国産だが、国産でも400g148円、500g168円といったところ。ゴ ボウ500gと言えばスーパーでは目立って大きい。350gでじゅうぶん一人前の体格です。どうしてゴボーの説明に力が入っているのかよくわかりません。

 

4−6 月2万円〜

とりあえずの目安は月の食費2万5千円です。食費にはお茶おやつ調味料の類いも含みます。

始めてまだどれほども経っていないので見極められませんが、もっと安くあげようと思えば2万円くらいまでは難しくもなさそうです。するとベストの目標2万円、許容範囲2万5千円、といったところが妥当な線でしょうか。

健康維持はもちろん、毎回おいしく食べられることを条件とするとそこまで抑えれば上出来です。

月2万5千円なら4人家族で10万円、大騒ぎするほどのケチケチではない、と思うかもしれませんが、単純に掛けたり割ったりでは比べられません。1人だと割高になります。

でも1日1キロの餌を食べる豚が4頭いれば餌は1日4キロですか。それは動きませんね。豚と人間でどう違うのか、よくわかりません。この辺のところを解き明かせばまだ低く設定できるのか、それはわかりません。

 

 

5.牛乳パックの作法

 

牛乳は『北海道3.7牛乳』成分無調整1リッターパック159円が身近では総合点トップです。買いに行く店はスーパー・サーバ。

ただこの牛乳には問題点が2つあります。どっちも牛乳メーカーに罪はありません。

問題の1は、さすが人気品らしく早い時刻でないと売り切れ勝ちなこと。

問題その2は、パックを開けるのがうまくいかないこと。

 

5−1 我がホープ北海道3.7牛乳で紙パックに苦戦

紙パックには開け方が印刷されていますが、あの説明に従って最初から迷いもなくきれいに開けられるのはよほど読み取りの鋭い人かと思います。

開 け口を「左右とも完全に押しひろげ」「手前に十分引き出して」とあります。他のメーカーでも書き方は似たようなものだったと思いますが、そうやろうとして 爽やかにいったためしはありません。注ぎ口部分を引っ張り出そうと爪で引っ掻いて引っ掻いてしているうち、あたりがボサボサになり、開いたとしてもつぐた び心のささくれる思いがします。

あるいは業を煮やして貼り付け部分を全部はがして四角く開けてしまったりします。こうすると手に持ったときグニャリとゆがんで胸がいびつになります。

 

5−2 結局どうやって開ければ?

公 式解答がこのとおりかどうかは知りませんが、反対側へ反りかえるまで左右に開き、その稜を親指と人差し指で両方から挟み込んで手前へ引っ張り加減に両側か ら押し付けていくと、注ぎ口部分がゆっくり自分からはがれてくれます。フクロウが笑ったみたいに飛び出してきたそのクチバシをつかまえていっぱいに引っ張 り出してメデタシです。

印 刷説明は絵の親指と人差し指の形がちゃんとヒントになっていて役には立っています。また以上を正解として読みなおすと説明文からもその主旨は感じ取れま す。「完全に押しひろげ」は、裏側へ反り返るまで押してひろげ、の意味だろうし、「手前に充分引き出し」は手前へ引っ張り加減に力を加えるあたりのことを 言っているのでしょう。でも何の気なしにあの説明文に目を走らせてそこまで読みとるのは難しいでしょう。

上記のやり方が正解だとして、それでスルスルといかなかったのは唯一生協牛乳でしたが、それでも他のより時間をかけてやればハサミやナイフの助けを借りずに何とかなりました。

 

5−3 ところが北海道3.7牛乳の場合

ところが新たな戦力に加わった北海道3.7牛乳だけがどうあがいてもそれでは開こうとしません。

やっと何とかなったかと思ったら、みごと紙が厚み半ばで剥離です。剥離した半分のほうは内側で糊付けされたままだから中身は出せません。

そ の薄皮をはがそうともがき続けるうち、ねらいはそこではないのに左側の稜のノリ付けがアッサリ縦にはがれました。2本続けてそうなりました。うっかりカッ プに注ぐとそこからドバッとこぼれ落ちます。長く生きてきたぶん分別も多少は育っており、さすがにそれを避ける程度の注意力はふつうにありました。

そのふつうの注意力を洗いざらい結集して3本めは慎重にやりましたが、それでもやっぱり近いことになりました。糊付けの強度バランスがよくありません。

 

5−4 でもひょっとしたら

ひょっとしたら紙パックメーカーから不良品を引き受けていたということもありうる? 

不明ですが、もしそうなら話の方向は変わってきます。不平はやめて大いに支援です。紙パックメーカーにはちょっと気の毒ながら、販売価格圧縮のその努力を多としましょう。

 

5−5 逆に見ると

事実をひっくり返して裏側からのぞくと、そんな気づかないようなところに施された配慮工夫に手をたたきたくなります。たぶん人知れぬ試行錯誤もあったのでしょう。これぞ研鑽努力の末の匠のわざか。

それが証拠には、北海道3.7牛乳成分無調整159円も、3本それが続いたあとは優等生的に改善されていました。問題は一時的なものだったようです。

ほんのわずかのサジ加減で良品と不良品に分かれてしまうそのはざまのところにちゃんと目を行き届かせているメーカーの注意力と機敏さにたじたじです。

 

5−6 でもよく考えるとちょっとおかしい

ということなので問題その2は称賛をこめてここに謹んで撤回、です。

でも不良紙パックの出ものがもしまたあったらどしどし利用してもらいたいです。

あとからの推量ですが、あれはやっぱり不良パックだったのでしょう。

正常な物を見てみると注ぎ口左側の稜には糊付けがありません。糊付け稜は注ぎ口のない方に位置しているのが正しいようです。

で、試しに開け口指定のない側を開けてみると、どうなるかというと、やっぱり剥離し勝ちです。開けるには糊付けがしっかりしすぎています。

印刷の指示にとりあえず従ってはいるものの、どっちが注ぎ口だっていいだろうにと思っていましたが、なるほど、これが指定の理由だったかと腑に落ちます。マイクロソフトの無意味な説明なんかとはわけが違いました。

 

5−7 天知る地知る神ぞ知る

すると、あのロットのパックは開け口指定が逆に印刷されていたのか? そうかもしれません。

今は快く口開けてくれる北海道3.7牛乳成分無調整159円を前に腕組みし頭を斜めに考えてみるのですが、事実は不明です。もし推量が外れだったら?  

私がまちがえて反対側を開けてしまった? 3本続けて?

その可能性は1%未満と言いたいのですが、さてどうだか。真実は紙のみぞ知る、です。

何にしてもこんなみごとな工夫に一顧だになく、最初からハサミでいいんですとか、全部はがしちゃえばいいのよ、とか言う勇敢な人にはどれも同じでどれでも問題ありません。研鑽努力も試行錯誤もクソくらえ。

 

5−8 空箱解体方法のおまけ

北海道3.7牛乳成分無調整159円パック事件のおかげでやっと気づいたことがもう1つ。

空箱の解体は糊付け部分を順に剥がしていくのがいちばん楽なようです。

どうせ解体するのだから乱暴に適当にやりますが、それでも今までやっていたみたいにやみくもに所かまわず破るよりはずっと力がいりません。ハサミか包丁を使ってもいいのでしょうが、我が家のハサミ包丁では、切れない刀で切腹を強いるようなむごさがありました。

 

 

6. 水道代を顕微鏡で

台所の水を蛇口から受けて使うのをやめました。洗いオケにためてから使います。ただし体にとり入れることになる水は別です。

私が物ごころつくころの生活ではそうでした。何でもかんでも、飲み水も例外ではなく、ため置きの水からでした。

 

6−1 水ガメにネズミ

そのころ我が家の台所はまだ土間造りで、土間にはコンクリートのカマドがありました。焚き口に屈みこんで火吹き竹を吹いたこともあります。

水道の蛇口そばには水ガメがありました。

のぞきこむと中は白黒夢の世界で、それでも光が無限にこだまして見える澄んだ水中にはいつも私の目が物珍しそうに不思議そうに並んでこちらを見ていました。

落ちればおぼれるだろう大きなカメに見えたが、実際の大きさはどうだったのか、今からではわかりません。

白黒夢ののぞき口は木のフタで半分ふさがれていました。だからフタは半円形だったのではないかと思いますが、その上にはアルミ柄杓(ひしゃく)がいつも伏せて置いてありました。使う水はチャポンと音たてて柄杓でカメからすくい取ります。

中学の国語教科書に、水がめに鼠の落ちし夜寒かな、という俳句が出てきて背筋が鳥肌立ったことがあります。鳥肌立ったのはおぞましさにではなく、冷え冷えと伝わってくる寒さのせいでした。現在の生活ではピンときません。

水ガメの口には短いゴムホースの先が垂らされていました。ゴムホースの反対側は蛇口につながっています。蛇口に麻ヒモでしっかり結わえつけられていました。水道とはそうして使うものだったのでしょう。

近所には、台所の隅でツルベを落とし、井戸から生活水を汲みあげている家もまだ何軒かありました。

今 に比べればどの家庭からもゴミなどほとんど出なかった時代のことです。魚のアラは家庭菜園の肥料に、野菜くずは玉子自給用の数羽の鶏のエサに、茶ガラは部 屋掃除の小道具に、というぐあいでした。ボロ布を目方で買い取る人が竿秤(さおばかり)を手に雑談なんかしながら巡回してきていました。完全に近い戸別リ サイクルの時代です。

 

6−2 台所の水の仕事率は?

それで節水になるのか? 

なります。少なくとも台所レベルではなります。

やってみるとわかります。

何がわかるかというと、ふだん台所でする洗い物の水のどれくらいが仕事をしているか、どれだけが無駄に排水溝行きか、というと後者が大半と言っていいくらいだ、と、それがわかります。

魚焼きのグリルなんか最悪です。有効に使われているのは蛇口から落ちる水の10%? 

そんなにはない。

2%? 1%? わかりません。

「ワタシはちゃんとため水に浸けて洗ってますからご心配なく」という人が多ければいいのですが、まずいないでしょう。

グリルはそれが難しい代物です。

受け皿を使っても洗いオケを使っても、サイズ形状的に無理があります。そこまでメーカーは気を配っていません。

かくて九割以上が水源から長駈無駄に運ばれたあげく、いとあわれ、げにもったいなや、そのまま為すところとてなく下水溝行きです。

それくらいなら水源近所の下水へ直接落としてくださったほうがよっぽど気が利いていたと言いたいところですが、もちろんそうはいきません。それも困ります。

 

6−3 古いミルクパン

アルミ製の古いミルクパンがありました。手に取れば柄もしっかりしており穴もあいていない。母が残したミルクパンの、その汚れとへこみ傷ひっかき傷も全部母が遺したものだ。これを柄杓(ひしゃく)代わりとすることにした。

寒さしのぎに500g198円の酒粕(さけかす)を使って甘酒を作ろうと思えば、母が使ったころのように本来のミルクパンとして機能します。

その柄杓(ひしゃく)で水をすくって洗い物にかけるときは、落とし水を次の洗い物へ流しこんで有効利用します。溜め水を使うとそういう配慮も自然にするようになるのが不思議。

 

6−4 それで、金額的にどれほどの節約に?

たぶん、顕微鏡的でしょう、よくわかりませんが。

でも実質的な経済効果も期待できるかもしれない。溜め水利用が鞭(ムチ)になれば結果としてありうる。節約の心構えを忘れがちな馬にはいつも鞭が必要だ。また、ひと鞭がまわりまわって幸運にもトンボ1匹でも救うことになれば、地球道徳にも反しません。

 

7. 静かで豊かな優等生、夕食はこれ

 

ある日の夕食メニューです。

1.キンピラゴボウ

2.ヒジキ炒め

3.切り干し大根炒め

4.水戻し海藻サラダ

5.ミソ漬け鮭切り身(焼いて)

6.ミソ汁

7.梅干し

8.白菜漬物

9. ナスのミソ味いなか風炒め

 

7−1 感動日々あらた

1〜7番がスタート時のメニューでした。ひと月あまりの間毎日それだけです。

と言えば、よくまあ我慢したものと思ってくださるかもしれませんが、実はどうということもないのです。私自身こんなものだとは予期しませんでした。

味覚神経とはもともとそんなに変化をせがんで始末におえないものではなかったのでしょう。ただ、甘やかせばすぐに、しかもどこまでもつけあがってあげくは地球迷惑なグルメ狂いです。

だから甘やかさなければいいのです。

ただ少しばかり好物で手なずけてやれば全然問題ありません。それでしかも味付けがいいとでもなれば、ひと月同じものを食べても毎回すなおに感動していじらしいほどです。

味付けの点なら苦労ありません。安くて手軽に使えるいい調味料が各種出回っています。

実際スーパーの棚を見てまわって驚きました。これなら何でもできそうで、何でもかんでもやってみたくなります。本腰を入れて全身全霊取り組む人なら別でしょうが、速戦即決派料理のポイントの1つは既成調味料を上手に使うことにあり、かな、という気がしました。

各メーカーのプロが研究に研究を重ねて作りあげているのだから、中途半端な素人が腰をすえて取り組むよりおいしいものが経済的にできるでしょう。

上手に使うといっても創意をこらしてあれこれ七変化八変化に使い分けるわけではありません。ケチ貧生活では使える材料も限られるからそんなにあれもこれも何種類もは必要ありません。

コンブの白ダシをかつての味の素のように何にでも入れるとか、必要ならカツオダシもコンソメもある、オイスターソースだってシイタケダシだって、という程度のことですが、それでも感動の嵐です。

 

7−2 とは言え拒まず

とは言え、口角泡を飛ばして語るに足りる天下一品を作るわけではありません。だから安くておいしくて簡単なバラエティーが多少でも採り入れ可能ならなおなおけっこう。

それでわずかながら他にも定番メニューをいくつか加えました。

5と9の代わりに次のようなものを入れ替わり立ち替わり登場させます。言い換えると、5と9以外は相も変わらず毎日同じで、なおも変わらず感動しているわけですが。

 

a. 高野豆腐とシイタケ(と牛スジ)の煮物

b. ピーマンの佃煮ふう

c. イワシのショーガ煮

d. 牛レバーのショーガ煮

e. 玉子焼き

f. モヤシ炒め

g. タマネギスライスの削り節醤油かけ

h.キャベツの千切り

i. サンマの開き干し

j. メザシ

k. 餃子(冷凍品)

l. 納豆

 

7−3 屈強の常備菜3傑

常 連メニューの中でも特にキンピラ・ゴボー、ヒジキ炒め、切り干し大根炒めの3つは毎日、天候気候祝祭平日に関わりなく休みなしです。屈強の常備菜3傑とい うわけですが、それ以外もおかずはすべて常備菜またはそれに準ずるものです。それで作る時には冷凍保存分も含めて2週間から3週間、物によっては1カ月分 くらいをまとめて作ります。その日が私のお料理日です。


7−4 活躍、青い隠しだま

青菜類はおおむね敬遠です。したくて敬遠するわけではありません。高いし保存もきかないからやむをえません。それで代わりとして頼るのが水戻しの海藻サラダです。シャキシャキした歯触りがよくておいしいです。

あたりまえのスーパーだとけっこうしますが、業務スーパーで100gが198円、1食分3グラムもあればじゅうぶんで10円かからない安さ。これで青菜の穴埋めが完璧なら、惜しくもない余生は海藻サラダだけでいこう。

味付けはドレッシングやタルタルソースで都度変化をつけます。業務スーパーで安く買えるのがいくつかあり、それでじゅうぶんおいしい。タマネギスライスとまぜ、さらに春雨なんかも加えると食味が広がって、ホホーッと思います。

 

7−5 食器もおいしい 

乏しいバラエティーの埋め合わせに食器を変えます。

最近の食器は安くても色柄がきれいです。百円ショップの小皿の品のよさに使うたびしげしげ見入っていたこともあります。

今度はどのうつわ、このアヤメかそっちの朱塗りか楓丸、などとやるのは楽しい、と思えば楽しいです。

ノリタケやウェッジウッドを戸棚の奥深く閉じ込めておく時代ではないでしょう。使ってこその食器、日々触れてこその名品―名品があるなら、ですが。使って割れればそれもやむなしでしょう。
こんなものを後生大事にしまいこんで、自分は欠けた茶碗を使っていてもしようがなかったろうにと思いますが、
母のその習慣のおかげでいま心なぐさめられてはいるわけです。まさしく「後生大事」の親心か。

 

7−6 料理は寛大な園長先生

ナスのミソ味いなかふう炒めとピーマンの佃煮ふう炒め、とくれば誰が考えても常備菜の最右翼とも言いたいところですが、スンナリそうはいかない事情があります。

事情とくれば経済事情を指すのは言わずと知れていますが、素材として少し高いめの気がします。それで最初は定番として考えなかったのですが、料理本片手に作ってみたら理不尽なおいしさです。

努力目標としてなるべく安売りを買うという但し書きつきで定番に認定しました。やる時はやはり2〜3週間分まとめて作ります。

ピーマンは芯も種もいっさい気にせず使います。芯がまじるとわずかに粘る感じが出ますが、ほんのわずかのことで気になるほどではありません。ヘタだってそのままでどうということもないのですが、面白い方法に気づいたので気がのれば取ることにしました。

その方法ですが、最 適の箇所に包丁を入れるとヘタの核心部分だけが1円玉とワイシャツボタンの中間くらいのコマ状にコボンと取れてしまいます。ワンカットで見事にいくのが ちょっとした名人芸か手品です。凹凸形状にもよりますが、なれると3回に2回以上の確立で成功します。4回に3回、5回に4回へと目標を上げていくと、お みくじよりは楽しく熱中できます。

でも、遊んでばかりいるわけでもありませんが、暇と言えば暇ですね。忙しい主婦にはできません。

料 理本片手のクッキングでわかりましたが、料理の味つけはずいぶん幅が広いと思ってよろしいようです。何々を何グラムとかあるのを見ると私にはとてもという 気がしましたが、そんなに身構えることもないんですね。私が通った幼稚園の園長先生の、あんな感じです、寛大でやさしくて。

 

7−7 ミソ汁はぜひ軽くありたい、が

ミソ汁の具は大根、ニンジン、ジャガイモ、油揚げ、木綿豆腐です。これを適宜組み替えてというのではなく、たいてい全部いっしょに入れてしまいます。さらにモヤシを加えることも頻繁です。

具だくさんのミソ汁は本当は趣味ではないのですが、手間ひまかけず効果的に食べようと思うとこうなってしまいます。

 

7−8 倹約はプランターの中から

パセリとルッコラと三つ葉をプランターで育てています。

3つとも今は観賞用レベルですが、生き続けているだけでアッパレです。夏の終わりに適当な土を用意して、あとは相当適当に水をやっているだけですから。

育 ち遅れのおかげで秋の貪欲な収穫からもれて命拾いした生き残りと、時期遅れの種まきでまだヨチヨチ歩きの若葉が身を寄せ合って必死に生きています。

栄養不足はどっちも事情は同じで、葉っぱがいつまでも大きくなりません。それでもいじらしくもはちきれそうに濃い緑をつやつやさせています。今日の忍従が生きる春は来る、いつまでも冬ばかりは続かない、と期待しています。

肥料もやらずに厚かましい期待かもしれないが、金のかかる肥料なんかあてにするな、雑草を見よ、けなげに育て、たくましく育て。いつまでもいじらしいだけだと水だってやらないぞ。 

 

7−9 サインはGS 業務スーパー、玉手の玉手箱

記録ノートにGSの略号頻出します。業務スーパーの意味です。乾物類の仕入先はたいていGSです。切り干し大根、ヒジキ、高野豆腐、みんなそうです。

イワシは本当に大衆魚の王様か?

スーパーのトレーの中にい並ぶイワシたちの、食べられる部分だけをひたすらじっと見すえて、その集合と値段表とを秤にかけてみました。結果、常備菜の対象から外しました。料理もなんだか厄介そうだし。

当初そうでした。

が、玉出の棚の前に立って考え直しました。1尾10〜20円で新鮮なのそこにいつもおいてあります。これなら悪くないどころではない。鮭よりもまだぐっと安い。

料理も難しくはありませんでした。本にならって生姜煮をやってみたら簡単で、しかもおいしさに歓声を上げました。やっぱり今なお大衆魚の王様。堂々の常備菜入りです。

料理が厄介そうに思ったのはどちらかと言うと腹わた処理のせいでしたが、これは冷凍状態でやることで手軽にすみました。

やっぱりショーガ煮で常備菜に加わった新顔に牛レバーがあります。思い出して、これも料理本に倣いました。

レ バーの仕入れ先はやっぱり玉出さん。

最初当たり前の肉屋で買ったら300g590円でした。玉出に行ってみると冷凍品ながら国産品が623g422円でありました。

食べ比べてみて品質差は感じません。むしろ玉出のほうがおいしかった。という言い方をするとアンフェアですが、2回目は調理にもなれて自分流の 加減を加えたのがアタリで、1回目より格段においしくできました。

 

7−10 玉子の国民的王道、玉子焼き

動物性たんぱくはこれで心配ない。ミソ漬けに、生姜煮のイワシとレバ―に、そこにさらに玉子まであります。玉子がうまく使えるのはとりあえず母伝来の玉子焼きくらいだが、それでじゅうぶん。目玉焼きはつまりません。

欧米には玉子焼きという料理認識がないのでしょうか。玉子料理の第一番と言えば玉子焼きなのに、かわいそうに。でもやっぱりご飯あっての玉子焼きかもしれない。たしかにパンと肉の食事に玉子焼きは合いそうに思えない。うなずける。かわいそうに。

 

7−11 白菜も安いには安い

季節になると店先にゴロゴロ積み上げられて、あの存在感はりゅうとしたものです。なのに愛用野菜に白菜を入れていませんでした。

理 由を考えてみると、1番は青物野菜という感じがあまりしないことです。どれほど栄養の足しになるかという気がします。2番目には、どうせ漬け物でしょ、 の感じがあります。3番目に、なるほど鍋物には欠かせないか、でも何となくガサばっかじゃないですか、そのくせ1個250円とか350円とかするでしょ、 という感じがあります。

が、改めて考えてみると、3つとも理にかなった評とは言えません。

栄 養の点で言えば、確かにホーレンソウやピーマンみたいに名前の出てくる野菜ではないが、地球にはぐくまれた稔りを地球に育つ我らが食べて無意味なわけはあり ません。と言うとちょっと肩いからせすぎでしょうが、成分表に出てくるものばかりが体にいいわけでもないでしょう。

漬け物は粗食の代名詞、みたいなイメージも過去のもの。漬物屋の値札を見れば粗食どころではありません。

値段のごときは自ら畏れ入った浅はかさ。あの量を見て単位当たりの安さにすぐ思い至らないのでは、太陽も月も500円玉より小さいと言うのと変わりません。

近 くの商店街に白菜の安い八百屋があります。近いと言っても片道3500歩の距離ですが、白菜以外にジャガイモ、人参、タマネギと玉子も安いのでよく歩いて 行きます。自転車も使いません。速歩で、走るのと変わらないほど息を切らせて片道30分弱です。1回の買い物で何百円も安いわけではありませんが、健 康もいっしょに買いに行くつもりなので頑張ります。

白 菜を買ってきたらその日はきちんとしたおかずを1つ作ります。きちんとしたと言っても鍋に白菜を入れて上に豚肉をのせ、あとは塩とコショーを振りまいてフ タして待つだけ、という楽な料理です。唯一インターネットから拾ったレシピです。それでとてもおいしいから、これなら常備菜にはならなくてもオーケー。

残った分は全部漬け物です。

漬け物はポリ袋に白菜と塩水を閉じこめて冷蔵庫で1週間。

塩の量はよくわからない。から適当です。これだけの白菜に塩を振りかけて食べるとしたらどれくらいの塩が適量か、というところから始め、あと水の量も考え合わせて調整します。醤油ほかの調味料の量加減に見当をつけるときも同じ手です。

 

7−12 計量スプーンは半が勝負か

料理本に従って計量スプーンを使うこともふつうにやります。ただ、勘のほうが手っ取り早いことも多いのは、作る量が多いからです。勘のほうが楽で大きな間違いが少ないのです。

ミリン大さじ半分、醤油大さじ1・1/2、砂糖小さじ2、それぞれその3倍、とかやっていると頭の中でこんがらかって砂糖が大さじ6になってしまったりします。

かと言って1つ入れたらまた頁と首っ引きというのも、おそまつな記憶力にそのつど心くじける思いで料理が進まず、タイミングも逃してしまいます。

「段取りが料理の半分」というそうですが、すばらしい名言です。そのとおりであることを痛感します。その段取りが悪い分は自ら運命を切り拓いて補うしかありません。

そ れに、数十年生きてくるとだいたいの料理の味はある程度のイメージができ上がってしまっています。それからそれると、お宮の縁日へ行きたいのにコンサート 会場へ導かれているような気がしてきます。ちょっと砂糖が多すぎないか、と思うとやっぱりだった、ということがたまにあります。

それにしても大サジ半分とか1・1/2とかがあんなにしょっちゅう出てくるのに、大サジ半分の計量スプーンがどうしてないのか。それとも母の残したセットに入っていないだけなのか? 2種類あるセットのどっちにも入っていない。

それでためつすがめつ半を加減しながら思うのは、料理の味とは、考えていたより幅の広いものだということです。つまるところ自分の好みと勘と、あとは何だろう、うん、これはこれでいいか、よしできたヤッホー、という融通性か。

プロはそんなこともないでしょうが、あるいはひょっとしたらプロもプロなりにそうなのでしょうか。濃いと薄い、おいしいとまずい、がデジタル式に切り替わるわけではありませんからね。

だからレシピを書くにもきっと悩みは多いに違いないと思います。1でも4でも好み次第でどうでもいいのだが、よし、ここは中をとって2サジ半だ、というに似たようなことも少なくない気がします。

 

7−13 コショーはガリガリ

コショーは粉ではなくガリ挽きを使います。新鮮な風味が粉の比ではありません。

昔はあの豆がもっと高かったように思うが、今は安いんですね。

欲 を言えばもう少し粗く挽けるガリ挽きがほしいが、行きあたりません。

口さびしい時に豆のかけらを噛むとなかなか悪くないと思うくらいだし、カキ氷も粉雪状 より歯にガリガリ逆らうやつのほうが好きだから、細かいと上品になりすぎて物足りない感じがします。アフリカのどこかで手に入れた使い捨てに近いような瓶 のが粗くてよかったが、惜しいことにどこかへ失くしてしまった。

口さびしい時に噛むのは、やりすぎるとあとが大変だからおやつ代わりとまではいかないこと、念のため付記します。

 

7−14 籠城軍(ろうじょうぐん)には大量の梅干しを

母の残した梅干しが、大きなプラスチックケースで4箱もある。

風味落ちを気にしなければ10年かそこら軽くもちそうです。風味なら、賞味期限が2008年なので既に落ちていて、他に引き取り手もなく、松食い虫のように1人コツコツ食べています。

ただ母への供養というのを別にしても、風味落ちを感じたのは最初のひとなめだけでした。覚悟のせいばかりとも思えないのですが、比べる物がなければ何の問題もなくおいしいです。

と、いくら言ってやっても姉や妹はにこやかに敬して遠ざけるばかり。それほど困っていないぞということだから肉親としては喜ばしく、だからそれでいいが、2カ月たってまだどれだけ減ったとも見えないのが少し心にもたれる。

そ れにしても4箱も、母は何のつもりだったのか? 

全部同じ化粧箱入りだからあちこちへ贈答品の予定だったというのがいちばんありうる答だが、逆にいただき 物かとも考えてみた。でもそれはないでしょう。こんなものを、と言っては失礼になる可能性があるが、4箱まとめて送ってくる人がいたらおかしいです。孤立 の籠城軍向けなんかにはいいのでしょうが。そう言えば似たものか。

 

7−15 賞味期限は西暦2008年

賞味期限が1つ前のオリンピックのものであるのは、その年に母はこの茅屋(ぼうおく)を離れ、2012年夏他界するまで4年間姉の家でトレーニングに励んで″いたからです。

それでも私が突然帰ってくることもあったので、消耗品類も含め家はいつでもすぐに息が吹き返せるよう姉たちが心配りしてくれてありました。

とてもありがたいが、だから賞味期限は2008年2008年2008年2008年オンパレード。

 

7−16 春雨と餅粉が使えればいよいよか

2008年賞味期限ラッシュの中で、何の問題もなく新品同様に使えた食品はシイタケと餅粉と春雨でした。

ただシイタケと餅粉は何ということもないが、春雨は私にすればえたいの知れない食品。まさにどうリョーリするのかもわからなければ、料理素材として頭に思い浮かべることすらなかった。

でも説明にしたがってやってみると、風味をそえて悪くありません。しかもサラダにでも煮物炒め物、何にでも簡単に合わせられる。

栄養の点からは言う程のものもなさそうだすが積極利用の価値はある。汎用性が高く、安くで風味を足せるから単調さを埋めるに好個の材料です。

ただ、値段はまだ確かめていない。だから、安ければ、という留保条件つきだが、ジャガイモやなんかのでんぷんが原材料というなら高い物でもないだろう。なるほど、でんぷんからできていたのか。

餅粉も説明書きどおりにやってみたが、こんなものがあるとは知りませんでした。粉から作るのだから当然キメこまかで、シン粉餅みたいな食感がよくておいしい。

粉からできた餅なのか、餅からできた粉なのかよくわからないが、やっぱり餅からできた粉からできた餅だろう。鶏と卵よりはわかりやすい。

春雨も餅粉も、母はこの日を見越して私に教えてくれるつもりだったのでしょう、というようなことは梅干し4箱の到来品同様にありえないが、春雨と餅粉が使えればワタシもいよいよ一人前か。

 

8. 魚のミソ漬け

魚のいちばんおいしい食べ方はミソ漬けではないか。

そ んなこともないでしょうが、初めて自分で魚のミソ漬けを作ったときは息のつまるおいしさにそう思いました。たくさんストックしたまま古くなって風味の落ちたミソを捨てるのももったいないのでやってみたのです。商社勤務時代、西アフリカのガーナに駐在してい た間のことです。

その魚に関しては間違いなくミソ漬けがいちばんおいしかったことが記憶にあります。魚の種類は不明あるいは忘れました。

 

8−1 鮭、ブリ、イワシ、アジ、サンマ。ミソ漬けにすると

鮭とブリの切り身はベリグーでした。ただ値段を考えると次回以降はもっぱら鮭一辺倒です。

玉手から安いイワシとアジとサンマを買ってきて、これも試しにとやってみました。

3〜4日漬けで食べたサンマはあくまでサンマで変わり映えなかったが、2た身に分 けて漬けていた残りを3週間後に食べると身がよく引き締まって、ちょっと身欠きニシンの感じでした。脂ののったサンマの風味も残っていて悪くありません。

イワシは3週間たっても、これこそイワシはイワシであまり変わりません。ただ沁み込んだミソの焼ける香ばしさが加わるのがいいが、全体としての風味評価は言い難いです。

アジは隅々までミソを掻きまわして探したがついにどこからも出てきませんでした。

溶けてしまった?

でも魚は溶けても包み布くらい残るはずなのに、布すら見つかりません。

漬け忘れたのでしょうか? 
チリメンジャコとでもいうならいざしらず、指よりずっと太いイワシよりさらに太いアジが溶けてなくなるわけはないから当然そうでしょう。

8−2 冷凍とミソ漬けでずぼらに

味の評価は別において、ミソ漬けにしてしまうと全体として扱いが手軽になるのがいい。

買ってきたそのままだと必ずしもそうと言いきれないが、冷凍にしてしまうと漬けるのも楽だし、漬けてしまうと生臭さが軽くなるので全体としてそんな感想になる。

もともと魚は好きなので生臭いのもそれほど気になるほうではないのですが、自分で処理するとなるとちょっと大儀に感じます。

それでイワシショーガ煮のときも、いったん冷凍させてから1割くらい解凍ぎみでハラワタ処理をしたら具合よく、魚を扱った感じの手にならずすみました。

水洗いも省略しました。それをやると手はもろ生臭まみれになってしまうからです。冷凍処理だと水洗いの必要も感じません。柔らかくなるほど冷凍戻しをしなくてもはらわただけを取り出すのに苦労はありません。戻し過ぎると冷凍の意味がありません。

イワシが常備菜に加わるまではミソ漬け鮭切り身が動物性たんぱくの唯一の担い手だったが、今も鮭は鮭でおいしい。連日でも毎食でも飽きない。どうしてこんなにおいしいかと毎回思うから、夕食にもお昼にも頻繁に使う。ときどき玉子焼きを作ってこれに加える。

9. 新理論、洗濯はボケ防止につなが・・・

台所の2ヶ所にかけてある手ふきタオルと洗面台のタオルは毎日交換する。

これも当たり前の人には当たり前でしょうが、下着はもちろん、カッターシャツも同じ。ズボン、シーツ、カバー類もわりあい頻繁に洗濯して交換する。だから洗濯での水消費は大きいが、これを倹約する考えはない。

言ってしまえば武士は食わねど高楊枝の類いだと思いますが、人間此岸(しがん)に最後の息を落とすその瞬間まで見栄を忘れることはできません。

 

9−1 93歳にして明晰

母 もそうでした。最後の半年近くはネジがゆるみにゆるみきっていたのに、他人と顔を向き合わせると途端にシャキッとなって挨拶にも卒がないからアホらしい。 多くの人がそうみたいで、それは関係者がたいてい承知しているからこそ助かるようなものの、それでなければ介護する者は浮かばれません。

母他界のハガキを母の友人知人に出したら、謡いのお仲間が電話をくださった。突然連絡がとれなくなってどうされたかと案じていた、よくぞ知らせてくださった、といたく喜んでくださった。

私もうれしくて、お名前だけは聞きおよんでいたその方の怒涛のごとき近況報告を喜んでお聞きしした。

誰 それさんも亡くなった、彼それさんも亡くなった、○○さんはご健在だがすっかり頭のたががゆるんでしまわれて電話をさしあげても哀しいばかり、さびしい思 いをしておりました、悲しいには悲しいが本当によくご連絡くださいました、と、喜び悲しみこもごもの挨拶のふるい分けもピタリ狂いなく、表現も明晰、感心 しました。

お聞きすればお歳は母よりまだ1つ上の93。

なのにとてもしっかりしておいでで、驚きます、まだまだ大丈夫ですよ、お元気で頑張ってください、とおさめて電話を切った。

小1時間してまた電話がかかってきた。おハガキいただきました、お母さまがお亡くなりになられたそうで驚いております、よくぞお知らせくださいました、とのこと。○○さんもすっかりたががゆるんでしまわれて、とかの近況報告のおさらいは正確です。


9−2 見栄(みえ)は見栄え(みばえ)心ばえ

こんなときはどうしたらいいのでしょうか。

もう一度近況報告をお聞きするのはかまわないが、それでは却って失礼に思います。

そしてゆっくり迷っているひまもありません。近況報告は、それもゆっくりながら進んでいきます。

急いで喉を整えてから、電話は先ほどもいただいた旨を遠慮がちに指摘させていただきました。

それでハッとされた様子が気の毒なほどです。

しきりに恥じられるのを受けながら、首筋に汗がにじむのはこちらでしたが、指摘はあながち間違ったことではなかったのでしょう。一方で安心しました。

恥じる必要はないと思います。優れた精密部品にも寿命はきます。でもそうして緊張を取り戻すのはいいことだと思います。

あの緊張があれば明日またかけてこられることはたぶんない。

見栄=社会的緊張=社会的正常=その他もろもろ、か? 

見栄がある間はその他もろもろが回転し続ける。

老人を子供扱いする口調を耳にすることが最近少なくなりました。とてもいいことだと思います。あれは社会人としての緊張をわざわざひっぺがす行為です。

9−3 粉石鹸はよく溶かして

洗濯の水はケチらないが、洗剤は無駄に使わない。このために説明書きをちゃんと読んで適量を心得ておきます。

母が粉石鹸をたくさん残しているのでまだ相当先までそれでまかなえそうですが、粉石鹸は思ったより頑固です。なかなか溶けません。お湯でやってみろと書いてあるのでそうしても、見る間にサッととはいかない。

それで予め時間をかけて洗面器の水に適量の洗剤をよく溶かしておくことにしました。使用説明書にもそんな注意書きがあります。

使用説明書が言う目的は石鹸カスを洗濯ものに残さないためだが、それよりも、洗濯と同時に放り込んで使うのだと何か無駄があるような気がする。

それこそが無駄な手間かもしれないと思いながら毎回そうしているが、石鹸カスってなんだろう? 

石鹸で顔を洗ったら眉に何か、これは何だろう、石鹸カスか、というのは見たことがない。

溶けきらずに最後まで無駄に残った石鹸が石鹸カスだとしたら、やっていることはあながち的外れでもなさそうだ。

9−4 洗剤の適量

洗剤の適量は頭で理解してもなれないと実際には決めにくい。

スプーンの中身を少しこぼしてみたり、

こぼした結果に愕然となってまた足してみたり、

やっと水に放りこんだ末さらに考えなおしてもう少し追加を放りこんで、

じっと考えてからまた少し足して、

こんなに悩む人がいるだろうか、

いじましいな恥ずかしいなとか、

いやいやそんなことはない他人の物をどうこういうわけではないのだからとか、

ゴチャゴチャ思ううち結局どれだけ入ったのかわからなくなる。

その点洗濯機のセンサーが洗剤の適量まで教えてくれるのはありがたい。

ただ残念なのはその表示が、スタートボタンを押して動き始めてからでないと出ないことです。

しくみ上やむをえないのですが、これではスタート前に洗剤をよく溶かしておきなさいという指示に従えません。

と思いましたが、馬鹿ですね。

スタートボタンを押して適量表示を読みとったあと一旦キャンセルしてしまえばすむことでした。 

よけいなことばかり考えていて肝心なところでぬかるのだと反省しながら溶かすのに時間をかけているうちそのまま忘れてしまうことがよくあります。

9−5 夜目に白く、玄関は開けっぱな

その失敗がいいことを教えてくれました。

色褪せして困るものは洗濯機に放り込む前から裏返しておくといいそうですが、それならいっそ夜干せばいいのではないか。

星空に取り残された洗濯物は主婦としてザマよくないとか、母は言っていたが、昔の話です。主婦でもないし。男の下着をねらうやつもいないし。共稼ぎなら夜しか干せないこともふつうでしょう。

何回かやったのち、やっぱり考えなおしました。

洗濯物を夜ぶら下げっぱなしにしているのは備えが甘い証拠と見られて危険だとも言います。だから誰もが避けるのでしょう。

夜目に白々ひっかかる布の列は人の体温を伝えてうれしくもあるいっぽう、厳しく表情を閉ざしているべき席で1人ニコニコ笑顔を振りまいているようで、たしかにいかにも脇構えが甘そうです。

それならどうせ使わない部屋の中に並べるほうがいい。独り決めであまり奇抜なことをやってどんなとんでもない失敗をやらかさぬとも限らない。近所迷惑にもなりかねない。

それで夜の洗濯物干しは結局やめました。

やめましたが、始終取りこみ忘れてぶら下げっぱなしにしているから、やっぱり備えの甘い証しと見るのは正しいのです。玄関の施錠を忘れて寝ること1度2……、3度4度ではない。

9−6 パンパン・トントン・サラサラ

干す前に手の平で威勢よくパンパンたたいて洗濯ジワを粗伸ばししていた母の若いころの姿を思い出しますが、それよりもテーブルの上に広げてトントン叩くのがいいと妹が教えてくれました。

多摩川にさらす手(た)づくりさらさらになんぞこの児のここだかなしき、というのが出てきたのは高校の教科書でした。たしか中学で俳句、高校で短歌・長歌を習うのでした。パンパントントンにさらにサラサラも付け加えました。手の平でなでる、いうならば手アイロンです。

脱水したまま時間がたってしまうと無理ですが、すぐにやるとなかなかの効果です。パンパン・トントン・サラサラも手間は手間ですが、アイロンがけの手間と電気代が多少でも省けることを思えばまったく無駄ではないでしょう。

 

9−7 ガキはあっち行ってろ

あのパンパンを昨今あまり聞きません。

もうはやらない? 周りに老人ばかりが増えたせい? 

振り返ってみると、あの音の中に、母の若さが今も朝日にキラキラ輝いて聞こえてきます。母の年代と、時代の活気の、いちばん身近な象徴だったように思えます。

社会の勢いは人間の増える勢いだ!

いたるところ子供が充満して、ガキはあっち行ってろ、の大人の勢いだ。

それが巡りめぐって地球を徐々にむしばむことになるなら、地球の余力こそ社会の勢いです。

地球の余力すなわち人類の余力、それがなくなっていくのは心配なことながら、地球が入院するころには心配する者もすでにあらかたいないからそれでいいのか? 

哀しいような・・・、はたまた気楽なような・・・。気楽なような、はたまた哀しいような。

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